History

《流される》

捉え方によってはマイナスなイメージのある言葉ですが、私はまさにこの言葉通りの人生なのかもしれない。


思い返せば小学校の頃から、現在のスタイルができていたのだと思う。


小学校低学年は様々なものに興味があり、いろんな習い事をしていた。

その中でもサッカーが好きで、クラブにも入っていたりした。


そんな小学校中学年の頃に、当時の音楽の先生から吹奏楽部に入らないかとスカウトされる。

その時は、自分に声をかけてくれるのが嬉しくて入部することになる。

これが僕の最初の流れのスタートだったのかもしれない。


通っていた小学校は吹奏楽部の強豪校。

そこで僕はトランペットを担当させてもらうことになる。

今では考えられないが、譜面を見ながら歌ったり演奏すると殴られたりしたこともあった。

そんな吹奏楽部の功績は物凄いものであった。


全国大会3連覇・文部大臣奨励賞・3年連続ディズニーランドでの演奏、、、


もちろん、吹奏楽なので私一人での功績ではなくみんながいたからできたことではある。

自分より上手な人もいっぱいいた(70人くらいいました笑)


そんな成功を収めた吹奏楽も小学校で引退する。

先生が嫌いだったからだ笑

嫌いな人はとことん嫌いな性格も、この頃から健在であった。


中学校では剣道や合気道、テコンドーと格闘技や武道にはまる。

K-1世代です。笑(アンディフグやミルコ・競馬とかだとトウカイテイオー!)

学校生活では、若干虐められていた、、、(大人になってみんなと飲んだ時に発覚。本人自覚なし)

全てが中途半端な状態で、高校進学も友達と同じところという理由のみで工業高校に進学する。


ここで、唯一の自分での選択をする!!


部活だ。


高校では、この腐れ果てた根性を直す一番厳しい部活に入る!というだけの理由で野球部に入った。

ここが一番の今の自分を作る基盤になっている。


その期待通りの厳しさでめげそうになることや、足を何度も攣ったりしたがなんとか過ごしていた。

そんな部活の監督がよく、練習の時に言っていた言葉がある。


【ミスを嫌え!】


シンプルだが、一番大切にしていた。


この言葉は練習時のみに発する言葉であった。

練習中のミスをドンマイで片付けると上達しない。

自分に厳しく、ミスをした仲間にも叱咤激励をしみんな奮闘していた。


ただ、この言葉も公式戦では一切出てこない。


もちろんミスはよくない。

ただ、それは結果なだけであってまた練習で補強すれば良い。

今はミスをしないことが目的ではなく、勝利することが目的だ。

そのための声かけをみんな徹底していた。


結論から言うと、高校最後の夏は初戦敗退。

(その年の地区大会優勝校、4番のエースはプロ野球で活躍した金子選手でした。キャプテンのくじ運がすごい)

自分は3塁ベースコーチで打席はなし。


最後のバッターは自分よりも長打力のある2年生バッターだった。

監督は思い出づくりの代打ではなく、2年生のそのバッターを選んだ。

私はそれが正しい判断だと思っているし、それが当時も理解していた。

”情”ではなく、勝負に徹した監督を誇りに思っている。


そんな経験を経た今も流され続けて今日に至る。


流される場所が小さい川なのか、それとも大運河なのかは自分の舵取り次第です。


小さい川にはその魅力があり、大きい皮にも魅力はある。


僕はできるだけたくさんの川に流されながらも、高校生活のような信念を持っていきます。


そんな日下 博勝です。